捨てる人捨てない人

開かれた窓

 最近「捨てる体質」になれるようがんばってるの。



「捨てる体質」の人は、いつまでも古いものに固執せず、今あるもの、これからくるものに目を向けられるんだって。どちらかというと、私は捨てられない人。当面必要はないと思っても、「とっておいたら、いつか何かの役に立つことがあるかもしれない」と、捨てないままでいてしまう。それでもいいのだと思っていた。


 
実際、いつの日だったか、すごく痩せてきてしまったときがあった。ベルトがゆるゆるになってしまったので、レザークラフトの得意な母に、穴をいくつか増やしてもらったあと、それでも余ってしまったベルトの端っこは切ってもらうことにした。その時、切り落とした皮の端っこを、母親は捨てなかった。30分くらいしたあとに、「ほら、さっきの、ベルト、大ヘンシーン!」と、にっこり得意顔の母の手には、さっきのベルトの端切れが、おしゃれなバレッタ(髪留め)に変身して握られていたのだった。 


 
それで、「捨てない」ことに対しては、あまり罪悪感を感じず、むしろ将来の発明、発見、クリエイティビティの発揮のチャンスのためにと溜め込んでおくようなところがあった。



ひとり暮らしをはじめてからは、狭い部屋にどんどん増えるものをそのままにしておくわけにもいかず、だいぶ捨てるようにはなってきたのだけれど。大切なものであっても、捨てることが必要で、捨てるということを自分で自覚する必要があるものがあることを知ったよ。



それは、もうお別れしてしまった人の連絡先。
コンタクトする手段を無くしてしまうなんて、冷たいわ。って思ったのだけれど、 



「大切だから。捨てずにとっておいてしまうと、きっとまた連絡したくなる。いつまでも思いが残ってしまって前に進めないから。」
 そう教えてくれた人がいた。



だからね、さみしかったけど、これまで登録していた携帯電話の電話帳も、もらったメールも、連絡を取らなくなってしまった人の分は、全部消してしまったんだ。写真も、プレゼントも、お手紙も捨てた。もうないよ。それは嫌いになったからじゃない。これからを大切にするためのけじめ。またどこかで出会って、連絡をとることになればその時にまた始めればいい。



 捨ててしまって、しばらく時間が流れたけれど、日常は変わらなかった。少しだけ、寂しかったけれど、困らなかった。すっきりした分だけ、前に進めたのだろうか。



大切にしていたものを捨てる勇気を持ったら、ちょっぴりだけ「捨てる体質」に近づけた気がした。もっともっと、過去ではなく、明日を見れるように、ちょっぴりだけ変身できた気がした。