回り道でもいいかもね

ふゆ

物欲はそんなにある方ではないのだけれど。
人と会いたい、何かを見たい、何かをしたい、なりたい、という欲求は強い。
果たせるまでどんなに時間がかかっても、また、多少回り道をしてでも諦めずに
願い行動し続けているなって最近、きづいた。



きっかけは、小さいころ、中学生くらいから、かな。
素晴らしい先生にばかりめぐりあって、先生になりたいと思っていたころがあった。できれば小学校の先生がよくって、教員になろうと思ってたけど、外国籍の私は、日本では公務員になれない、つまり先生にもなれないとわかった。
それで、先生になりたい気持ちは家庭教師、塾の先生という形でとりあえず果たした。そのころは両親も帰化を勧めなかったけど、時代が変われば、帰化して教職をとれば、
いつかかなえられるものとのんびり時の経過を待っている。それで満足してる。


同じように海外生活にあこがれた時も、出入国の手続きがやたらめったら煩わしくて半ば諦めたくなった。でも、そのうち、海外留学が賞金につくスピーチコンテストや、数十人から数百人規模で国際交流をするイベントに参加すると主催者側が手続きを手伝ってくれることがわかった。味をしめた私は、高校、大学とそんなイベントばかり探しては、片っ端から応募し参加しまくった。だから、国際交流が好きなのね、とよく言われるけれど、ほんとは、一人じゃ海外に行けないからっていうのがほんとのところ。


そんなことを繰り返してるうちに、どんなことでも、ちょっと頭を使えば、そして諦めなければ、そしてかなえる方法をひとつに固執しなければ、やりたいことはたいてい叶うもんだと思うようになった。

水に流す

おトイレ

お風呂掃除、おトイレ掃除をしようと思った。


風水ではいい気の流れを作るために、
水が流れるところのお掃除は大事なんだって。


そんな言葉を信じてか信じないでか、
物事に変化を与えたい時、私はよくおトイレ掃除とお風呂掃除をする。



でも、今日は、いつもよりたくさん、たくさん、変化を起こしたくって、いつもの掃除にプラスアルファのことをしようと思った。


いつもなら。
ブラシと歯ブラシと雑巾を駆使して汚れを落とし、
磨きをかけ、ゴミをとった後、タオルを交換しておしまい。


でも今日は、トイレットペーパーホルダーカバーも、便座カバーも、マットも、
スリッパも、新調することにしたんだ。


行動開始は午後の二時。目標は上記サニタリーグッズをすべて白で揃えること。
まずは、渋谷のLoft。折りしも12月からの新装開店セールだった。
くるくると特設セール会場を巡ると、あった!まずは白のトイレの蓋カバーとマット。
ここではそれだけ。
白といってもベージュに近いものや純白、ホワイト、クリーム色などメーカーによって微妙に違うから、残るペーパーホルダーと便座カバーも色合いがマッチするように祈りつつ。

次。二子玉川高島屋
ちょうど、カードのポイントがたまっていたのを思い出し、
お買い物券2枚と交換。ラッキー。そしてバスルームグッズ売り場へ。
絶対あると信じてくるっと見渡すと。
あった★さっき購入したトイレグッズときちんと合う、ペーパーホルダーカバーも
便座カバーも!!
そして、スリッパはアクセント。Laura Ashrayの小さいチューリップ模様のついたのを
購入。

夕方帰宅。
そして、いつものお掃除の後、カバーをかけようかな、と思ったちょうどそのとき。
携帯メールの着信音♪やった!何かのお誘いかしら?さっそく変化が起き始めた。


やっぱりお掃除は大事だったんだ。
すっかりホテルのバスルームチックに変身した我が家のユニットバスを
晴れ晴れとした気分でずっと見つめていた。

「礼」について

儒教思想の「礼」は他人を思いやる気持ち、礼儀、マナー、ルールの意。「礼」の実践は、できるようで、なかなか難しい。

昨日も会社帰りに年配のおじいさまと満員電車で乗り合わせた時のこと。コホンと咳払いすると、「こっちもか....。」となにやら呆れ顔。何なのかしら?と電車の中を見渡すと、誰もが携帯メール、携帯ゲームに夢中になっている。気づくと私の手にも携帯電話が...。急に恥ずかしくなって、それでも誘惑と普段の習慣には勝てず、1回だけメール受信の問い合わせだけして、そっとかばんの中にしまった。

道を歩いていると自転車が風か、何かにぶつかったかのせいで倒れている。歩きにくいよね、このままじゃ。ハンドルをとってそっと持ち上げ、起こして道の端っこの電柱に立てかける。

ちょっぴりずつだけどやってみるわ。

モノレール

くるま

モノレールが好き。
窓を見ていると、嫌なものはすっかり地上に置き去りにして
どこか遠くの世界へ行けるような気分になれるの。
魔法の絨毯に乗った感覚に似てる。
すごく心地いい。



魔法の絨毯といえば、ディズニー映画の「アラジン」。



突然町で出会ったアラジンに
「Trust me」って手を差し出されて、プリンセスジャスミンは一瞬とまどって、
でも結局彼を信じることにして、手を握るの。そして二人は魔法の絨毯に乗って
空を飛んでいくんだ。



「誰か、自分ではなかなか変えられないこの環境から連れ出して」
ってよく思うことが多かった、当時高校生だった私は、
アラジンを繰り返し繰り返し見てはWhole New Worldをよく聞いていたっけ。
それからしばらく経ったある時、モノレールに乗った感覚が、魔法の絨毯の上にいるそれとすごく近いことに気付いた。以来、モノレールが大好きで、乗るたびに一瞬だけれど、異空間への小旅行ができることを密かに楽しんでいた。



いつしかそんなことはすっかり忘れてしまい、交通手段のひとつでしか過ぎなくなっていたのだけれど。先週、数年ぶりにモノレールに乗って、
窓を見つめていたら、ふと昔のそんな記憶と感覚がよみがえってきた。

「私は、これから違う世界に行くんだわ。連れ出してもらうの。」
空港行きのトランクやビジネススーツに包まれた男性のにこりともしない表情のそばで、一人胸躍らせていた。
「このままどこにも停車せず、どこかへいってしまえばいいのに」と願っていた。




すぐにモノレールは目的地についてしまい、私の妄想ははなかくも消えてしまった。それでも、その後も、なんだか胸にひっかかりがあり、数日たっても忘れられないで、繰り返し繰り返し思い出している。

 私にはモノレールが必要だったんじゃないかしら。何か、逃げたくてたまらないものがあることに気付けというお告げなのではないかしら。だれかに救ってほしいと願っているのではないかしら。

問いかけながら、きっと今日も私はモノレールではなく、いつもの満員電車に乗るんだろう。

大切にしているもの、こと

rika-kou2004-11-14

年末近いし。

気持ちがまともなうちに。麻痺しないうちに。書き留めておこう。

今の私がたいせつにしているもの、こと。



★笑顔 感謝 謙虚



☆人と人が出会うのには理由があるということ



★すべての出来事は、
自分にとって必要だから、学ぶべきことがあるから、起きるのだということ



☆悲しいときには、涙を流してもよいということ



★楽しかったら思いっきり笑ってよいということ



☆仕事は楽しいもんじゃないと少なくない人はいうけれど、
わくわくすることを仕事にしてもよいのだということ



★組織そのものは自分を守ってくれないけれど、
組織の中には、自分を大切に思ってくれる人がいるといるということ



☆会社に行きたくないときにはお休みしても良いということ



★冬が終わるとやがて春がくるということ



☆花は枯れても、種を残すということ

★自分の目の前に道はまだないけれど、振り向けば道はできているということ。



☆やがて来る未来を手繰り寄せながら今を生きる人もいるけれど、
過去を重ねて今を生きる人もいるのだということ



★時間の経過には忘却作用があるということ



☆笑顔。笑顔。笑顔。

捨てる人捨てない人

開かれた窓

 最近「捨てる体質」になれるようがんばってるの。



「捨てる体質」の人は、いつまでも古いものに固執せず、今あるもの、これからくるものに目を向けられるんだって。どちらかというと、私は捨てられない人。当面必要はないと思っても、「とっておいたら、いつか何かの役に立つことがあるかもしれない」と、捨てないままでいてしまう。それでもいいのだと思っていた。


 
実際、いつの日だったか、すごく痩せてきてしまったときがあった。ベルトがゆるゆるになってしまったので、レザークラフトの得意な母に、穴をいくつか増やしてもらったあと、それでも余ってしまったベルトの端っこは切ってもらうことにした。その時、切り落とした皮の端っこを、母親は捨てなかった。30分くらいしたあとに、「ほら、さっきの、ベルト、大ヘンシーン!」と、にっこり得意顔の母の手には、さっきのベルトの端切れが、おしゃれなバレッタ(髪留め)に変身して握られていたのだった。 


 
それで、「捨てない」ことに対しては、あまり罪悪感を感じず、むしろ将来の発明、発見、クリエイティビティの発揮のチャンスのためにと溜め込んでおくようなところがあった。



ひとり暮らしをはじめてからは、狭い部屋にどんどん増えるものをそのままにしておくわけにもいかず、だいぶ捨てるようにはなってきたのだけれど。大切なものであっても、捨てることが必要で、捨てるということを自分で自覚する必要があるものがあることを知ったよ。



それは、もうお別れしてしまった人の連絡先。
コンタクトする手段を無くしてしまうなんて、冷たいわ。って思ったのだけれど、 



「大切だから。捨てずにとっておいてしまうと、きっとまた連絡したくなる。いつまでも思いが残ってしまって前に進めないから。」
 そう教えてくれた人がいた。



だからね、さみしかったけど、これまで登録していた携帯電話の電話帳も、もらったメールも、連絡を取らなくなってしまった人の分は、全部消してしまったんだ。写真も、プレゼントも、お手紙も捨てた。もうないよ。それは嫌いになったからじゃない。これからを大切にするためのけじめ。またどこかで出会って、連絡をとることになればその時にまた始めればいい。



 捨ててしまって、しばらく時間が流れたけれど、日常は変わらなかった。少しだけ、寂しかったけれど、困らなかった。すっきりした分だけ、前に進めたのだろうか。



大切にしていたものを捨てる勇気を持ったら、ちょっぴりだけ「捨てる体質」に近づけた気がした。もっともっと、過去ではなく、明日を見れるように、ちょっぴりだけ変身できた気がした。