仲良し

ityou

春先にはまだお互い知らなくて、
別々の枝についていたのだろうけれども、
ある時、風が吹いて
2枚の落ち葉は隣り合わせになりました。



この落ち葉たちはすぐにお互いが気に入って
仲良しになって、
いつまでもずっとくっついていたいと
思っているんだって。

でも、また風が吹いたら、
引き離されてしまうかもしれない。
誰かに踏みつけられたり、
片一方だけが拾われていくかもしれない。



ほんのつかの間のシアワセかもしれないね。

でも2枚の葉っぱたちは少なくとも
互いによりそってずっと一緒だった日々を
いつまでも忘れないんだ。

たまには休憩しなくちゃね。

コーヒー

先週は終電逃してタクシー帰りを3回してしまった。
今週は、2回。ちょっと尋常じゃないよね。



仕事は、きっと好きなほうなのだと思う。
けれど。進め方、処理の仕方はあんまり、
スマートじゃない、かな。
クライアントからはお陰様で
頼ってもらえている方だとは思うのだけれど。
サービスしすぎたり親身になりすぎて。
いっつも先輩に「だから仕事が終わらないんだ」と
釘をさされる。
えーん。だっておせっかいなんだもの。
おまけしてあげたくなっちゃうんだもの。
となきつきたいのをこらえながら、
がんばってる感じ。



わかってる。
組織は人を守ってくれない。きっと、
ぶっ倒れたって、風邪引いたって、死んじゃったって、
「会社は残業しろなんて誰も言ってない」
の一言ですまされてしまうだけだもの。

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真っ白い紙に何を書くか。

糸井重里さんが、何かの雑誌で
「人が()の中の空欄に何を埋めるかよりも、
真っ白い紙に何を書くかに興味がある」ってコメントしてた。


なんだかすごく気になる言葉だった。


私は、真っ白い紙があると何を書くんだろう。

ペイントツールを出して、しばらくぼーっとしてみた。





数分後、現れたのはバンビだった。



私は今まで何を書いてきたんだろう。


ふと思いついて、
マイピクチャのフォルダをあけてみた。



ちょっと、どきどきの落書きが出てきた。


また、しばらくして、
白いペイントツールをながめてぼーっとしてみた。





数分後。





クリスマス近いしね。スノーマンでしょ。



私の場合は。よくわからないのだけれど、勝手に、
絵の中の子達が、出して出してっていうから、
手が動いてしまうという感じ。


何を表現したいとか、何を書こうとか。
考えたり、決めたりするのは、
どちらかというと
後の作業。
こっちの世界に出てきたいというので、
いいいよって、そのまま、
私の目と、手を貸してあげる感じ。


みんなは白い紙を前にして、何を書くのかな。


気になります。

仲間が本を、出した。

負け犬

ラジオNIKKEIのアナ仲間の小原隆子さんが
本を出しました。
いやいやお先にやられたという感じもしますが、
面白いです。


お仕事と、結婚のエピソードをつづったエッセイですね。


読後の感想を述べさせていただきますと、
フリーアナウンサーの道って、
広いようで狭いし、狭いようで広い。
お気楽なようで、厳しいし、
厳しいようで、案外敗者復活のチャンスもあるな、と。


どちらかというと小原さんも私も、
ラッキー組だ思うのだけれど。
ここまで来るには転職やら、レッスンやらを重ねて
社会人としてスタートしてから、3年以上は経ってるでしょうね。


それでも。
彼女はラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ)が主催する
「経済キャスターコース」の出身で
株式などを中心とした経済番組を担当。


私は同じくラジオNIKKEI
「赤坂アナウンス塾」出身で、
アジア番組担当。


レッスンを受けてチャンスを得たっていう実例が
とりあえずここに二人いるんだから、
可能性は多分にあるということで。



ただ、フリーの場合、なんとか番組をもてたとしても、
「降板」の恐怖と常に背中合わせ。
社員のアナとは、そのへんの緊張感が違う。


彼女は3ヶ月目にして、そのショックを味わったそうです。
現在は見事な生還を遂げられ、
先週も、ラジオ局でばったり会いましたけれど。


私は、なんとか、4月の番組スタートから、
8ヶ月を過ぎました。
それだって失敗の連続に目をつぶってもらいながら
ぎりぎりの線だろうなと冷や汗かきながら
やっとこさしがみついてる状態です。

彼女の本を読みながら、わが身をふりかえらせていただきました。

春の日の思い出

はる

 いつものように、英会話学校へ向かう途中の
土曜の昼下がりだった。5月の始め。
青々と茂る木々から漏れる太陽の光は、
きらきらとしていて、まぶしくて、あたたかくて。
背中にもそのぬくもりを感じながら、ゆったりと、歩いていた。



もうすぐ駅につく。
直進してきた道を駅に向かって折れようとした、
ちょうどそのときだったと思う。
携帯電話の呼びだし音がなったんだ。


「いい天気だねえ」のんびりとした声だった。


「そうですねえ」のんきに返事をした。
しばらく互いに沈黙していた。

「散歩しようか。」急に思いついたように、声の主は提案した。

空を見上げると、ほんとにレッスンをお休みしてもいいくらいの、
気持ちの良い天気で。
さぼって川原を散歩するのもいいなと思ったけれど。
すこしばかり考えて、返事した。

「お誘いありがとうございます。
でも、用事があって、今日はごめんなさい」


またしばらく互いに沈黙していた。
「そう。いそがしいんだね。じゃね。ばいばい」
すっきりした声で主は電話を切っていった。


     ★.。・’*。。☆★.。・’*。。☆★.。・’*。。☆
それから5月の末になって、誕生日がやってきた。
夜の11時になってもクライアントに提案する予定の提案書は、
できあがらない。
周りで残業をしている人も一人、また一人と帰っていく。
とうとう独りぼっちになって、おなかがすいて、
カップラーメンを食べたんだった。

そのときメールが届いた。
「何してるの?」


「誕生日だというのに、仕事がおわりません。まだ会社です。」
やつあたりをするようにぶっきらぼうな返事を書いてしまった。
しばらくすると、またメールが届いた。

「もう帰りなさい」父親のような言葉だった。
時計の針は12時近くをさしていた。
仕事でせっかくの誕生日をつぶすなんてばかげてる。


「そうですね。もう帰ることにします」
返事を返すと、ファイルを閉じ、
提案の資料を片付け、帰る準備にかかった。

しばらくしてメールがもう一度届いた。


「HAPPY BIRTHDAY!」



よくわからないけど、働いただけの元はとった気がした。

     ★.。・’*。。☆★.。・’*。。☆★.。・’*。。☆
やりたいことをして、すきなことをして。
人に媚びずに自分のスタイルを持っている人だった。


私は。
やりたいことをがまんして、すきなことをするのは気が引けて。
人の顔色をみながら言動を選ぶようなところがあった。

お元気くまちゃん。

kuma

尊敬してるし、大好きな、会社の先輩が入院してしまいました。


命に別状はないといっているけれど、
家族以外面会禁止の集中治療室に入ってもう一週間以上たちます。


いつも、いつも、仕事がうまくいかないときに、
「なんで、きちんとできませんてお断りしないの?
どれも処理しきれなくって中途半端はかえって迷惑でしょう」


「ひとのせいにしないの。ひきうけたのはあなたでしょう」


「なんでそうなっちゃうの。制作会社には1,2日余裕を見て
締め切り伝えないと何が起こるかわからないでしょう」

と母親のようにお説教してくれて。


「ごみ広告」「くず」「やってらんない。もう勘弁」とけなしながらも
先輩に校正された広告原稿は、いつだって、
最初にライターが書いてきたものより
格段にわかりやすく、よみやすくなって戻ってきました。


「文章の始まりはね、”むかしむかしあるところに
おじいさんとおばあさんがいました”て言うのと同じ。
最初にいつどこでだれがなにをしたって
すっきりわかるようにまとめればいいの」

って、文章の書き方まで指導してくださいました。


いつだって助けてもらってばかりでした。



だから早く良くなってほしい。


☆:’*。★。☆:’*。★。☆:’*。。



元気になってほしい、パワーをあげたいと思うとき
私は「お元気くまちゃん」をつくります。


私のポジティブパワーとハッピーパワーが
たくさんたくさん入ってる、
そばに置いとくと、元気になるって
念力入りのくまちゃんです。


手乗りサイズで握ると気持ちの良いフェルトでできてます。
不器用だから、微妙に手足の長さがちがっていたり、
縫い目が粗かったりしますけれど。愛嬌ということで。



会社からタクシーで帰ったあと、1時から、制作時間は賞味3時間。
がんばった!ごくろう、くまごろう、ということで
記念写真とっときました。


仕事の引きつぎで、お見舞いにいけるようになったという
別の先輩にくまちゃんを託しました。


どうか、パワーが届きますように。
元気に退院して、笑顔で再会できますように。

マリアさまゆるして。

マリア

部屋の冷蔵庫に、マグネットでA3大のポスターが貼ってある。
絵は自分で書けばいい、と大き目の絵なんて買ったことのない私が
どうしても、家に持ち帰りたいと、
思わせるだけの力が、この絵には、あった。


絵の名前は、
ティツィアーノ聖母マリアの被昇天。


どこにあるのかなんて全然しらなくて、ただテレビで見た時に、美しい、綺麗、いつか本物をみたいと思った。それだけは覚えている。でも数年くらいすっかり忘れていた絵だった。


でも、あるときたまたま友人が結婚式をイタリアで挙げるというので出かけたら、
フィレンツェの美術館で彼の別の作品を見かけた。


もしかしたらこの国のどこかに
あるかもしれない。フィレンツェの美術館を、それから数箇所回った。
なかなかみつからなかった。
でもこの国のどこかには必ずあると思った。
イタリアの美術館は宮殿や教会、あるいは学校の校舎のように
だだっ広い。壁にかけられているだけでなく、壁画として作品になっていたり、
天井画になっていたりで見逃してしまいそうになる。
でも一つ一つ丁寧に、チェックしていった。

3日後、願いは叶った。
絵があったのはベネツィアの小さな教会だった。



やっと会えた。
「初めまして。ずっと会いたいと思っていました。」そっと声をかけると
マリア様は私に向かって「待ってましたよ」とほほえんでいるようだった。


「あなたに会うために、来ました。なぜだかしらないけれどあなたに
ゆるしてもらわなくてはならないことが、たくさんあって、
もしかしたら、これからもたくさんあって、
会わなくてはいけないと思いました。」
マリア様はただ何も言わず、だまったままひたすら私の告白を聞いてくれているようだった。

うれしくてずっとずっと絵を見ながら大粒の涙をぽろぽぽろと流していた。



もうあれから2年以上経っている。最近ふと
誰かにゆるしてもらいたいと思う気持ちが
こみ上げてくることがある。
そんなときは、冷蔵庫の何も言わないマリア様を見ている。
十分と思えるくらい見つめ終わると、
いつものように冷蔵庫をあけ、
賞味期限の切れた紅しょうがやら野菜やらにうんざりしながら
ゴミ箱に捨て始める日常に戻る。